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「URBAN COMMONS」

  • Posted by: 田畠隆志
  • 2008年11月21日 23:36
  • diary

R1061542.JPG西田司+藤村龍至の2人展である「URBAN COMMONS」のオープニングレセプションに行ってきた。
といっても着いたときには既に場の雰囲気は落ち着いてしまっていて、お二人とお話をしている間に次のイベントが始まるとのことで慌しかったのだが。

BankART NYKの入口は隣接する県警側のものとそれと90度の関係にある海側のものがある。どちらから入ったとしても今回の展示では入口は一箇所に限られ、その入口から見て手前と奥に分節して展示が行われている。手前が藤村氏、奥が西田氏、だ。入口に立っていたBankARTの新野さんに御挨拶してすぐに藤村さんが居るのが見えて軽く会釈。しばらくぶりにお会いする藤村さんとお話している間に新野さんから展のパンフレットを受け取る。藤村氏とはかつてsynctokyoでシェアしていた仲間であり、西田氏とは昨年来、何件か住宅の仕事で御一緒させていただいている僕としては二人の共通項を探す方が難しく、逆を行っているといってもいい二人の展覧会のパンフレットをどう纏めるのかと思っていたら、なるほど納得、2冊のパンフレットなのであった。
白を基調に、表紙には大きく模型写真という西田氏のものに対して、黄色とグレーでコラージュのような雰囲気の藤村氏のそれ。前者は建築家が発行するカタログとしてすごくスタンダードに、綺麗にまとまっている感があり、後者はパンフレットと言う一時的な雰囲気は無く、バックナンバーまでありそうなマガジンといった風。この辺はrajの経験によるものか。
さて、「URBAN COMMONS」というこの展示におけるテーマやそれにまつわる両者のスタンス等についてはいろんなところで読むことが出来るので割愛。それぞれが作っているモノについての感想を述べたい。
西田氏とは昨年来、数件の住宅で協働させていただいているのは上に書いたが、その中でも感じていることとしてあまり物理的なモノに興味が無いのではないかと感じることがある。その感覚は今回の展示によって少し輪郭がつかめたように思う。彼は建築と言う装置を通して周辺とのインタラクションを生み出すことに興味があるのであって、そのモノの物理特性は最重要項目ではないのだ。この辺のスタンスを僕が読みきれていなかったと言うことか。言うまでも無く僕ら構造屋は物理物体としてのモノに沿って仕事をしているのでそれに対する興味と自分の仕事は切っても切れない、ということが上記の違和感につながっていたわけだ。そのような視点からすると西田氏の設計行為は設計対象から乖離したところに軸があるのかもしれない。
藤村氏との建築設計における協働経験は皆無だが、そのプロセスや表現は上に書いた職業的性向からか特に違和感無く共感できる。ただこれは見方を変えるとすごく強力なメソッドを構造家が持っていたときに藤村氏はどう対峙するのか、すごく興味深く、また建築家としては危ういところなのではないかと言う気もする。そういう意味では彼の代表作Building Kは危うくも微妙な均衡が保たれていると言うことか。藤村氏の進化論的設計プロセス展示はいまやおなじみになりつつあるが今回の展示も同様。よくコンピュータ・アルゴリズムで形状生成する場合に、設定されたパラメータから創出された準最適解ではなく、解の群から人間が恣意的にピックアップすることを「神の手」と呼んだりするが、藤村氏の模型群を見ていると一つ一つの模型の間に神の手が存在している感じを受ける。そういう点で藤村氏の設計プロセスはダーウィンの進化論的(ただし進化を促す環境は「神」によっている)という印象。自己組織的ではない。とまあ藤村氏のスタンスは良くも悪くもモノから離れないのでいくらでも話が転がりそうだ。

展示は11/30まで。
11/30には二人を選出した山本理顕氏を交えてシンポジウムが行われるとのこと。

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